私がやってみたかったこと・・・

一つはプログラミング講座のようなパソコンの楽しさを人に伝えること。なかなかテキスト作りの作業が進んでいませんが・・・ ^^;


他にも色々やってみたかったことがあります。テキスト作りで行き詰まった時は、何かを作ってしまうことも。(だからテキストが進まないのですが・・・)


以前から大事にとってあった布や毛糸が、大量に残っているのを見ていると、何かを作ろうかな?と考え始めてしまいます。


いろいろ考えすぎて、全然進みません・・・

長男が興味のあるプログラミング。


小学校でもプログラミングの授業が始まると聞き、小学生には早いんじゃ?と正直なところ思っていて、いったいどのようなことを教えるのか興味がありました。


昨年度、授業参観でPepperを使った授業を見せていただく機会があり、さっそく見にいきました。Pepperに繋がれたノートパソコンには、私が勉強していたときに見慣れていたものではなく、図形を線でつないだ画面でした。
小学校で教えるのは、プログラミング言語ではなく、プログラミングの考え方なんだと気付きました。


その後、長男から、本に載っていた「Scratch」というアプリで遊びたいと言われ、パソコンで検索してみました。これもPepperと同じ、図形でプログラミングをするものでした。
やってみると子どもにも分かりやすかったのですが、大人にも楽しいかもという印象でした。


最近、子ども向けのロボットプログラミング教室が増えている中、大人向けに「Scratch」を使ったプログラミング講座を開こうかと思っています。まずはチラシを作ってみました。テキストも作成中です。


詳細が決まり次第、ブログでお知らせします。

商業高校卒業後、専門学校へ進学した私は、在学中に様々なアルバイトをしていました。


そしてコンピュータ系の専門学校を卒業したにも関わらず、事務職として就職し、長女を出産するまで働いていました。

でも、事務職でエクセルやワードを独学で覚え、マクロなど使ったり、社内LANや社内システムの設定のお手伝いをするなどしていました。


長女を出産してからしばらくは、専業主婦として生活していましたが、どこか社会から取り残されている感じがしていました。


次女を出産してしばらくしたころから、パソコンを使って在宅でデータ入力の仕事を始めました。


そして長男が入園するころ、短時間の仕事を探しに行ったハローワークで、専門学校の講師助手の仕事を見つけました。

その専門学校は、外国人留学生が生徒で、エクセル・ワード・ホームページビルダーの授業があり、私は講師の先生の授業を聞きながら、生徒へのフォローをするという仕事でした。先生としての経験がなく、しかも生徒は外国人。最初はかなり緊張していました。でも、生徒たちが卒業するころには、人に教えることの楽しさ、難しさを知り、講師の仕事に興味がわいてきましたが、契約期間が終わり、講師助手の仕事も終わってしまいました。


その後、短時間での事務の仕事を経験したあと、やはり講師の仕事をあきらめきれなかった私は、職業訓練の講師として働き始めました。

講師として働き始めたのが、長女が高校に入学した年だったのですが、仕事が進むにつれ、長女が登校できる日が減っていき、このままでは進級できないかもしれないと思い、仕事を辞めました。


収入がなくなってしまったのは辛いのですが、子どもたちのサポートをしながら収入が得られることを考えていこうと思っています。

最後に長女。現在通信制高校2年生。


しっかりもののお姉ちゃん。

小さい頃は、いつもお手伝いをしてくれたり、妹や弟が小さい頃はかわいいと言って面倒をよく見てくれました。


小学校の高学年くらいになって、思春期に差し掛かったころから、笑わなくなったり、あまり思ったことを言わなくなってきました。思春期だからかな。と軽く考えていました・・・

中学校に入ると、前髪を伸ばし、いつもうつむいて、顔を上げなくなりました。家にいるときは部屋に閉じこもり、ドアを開けると「閉めて!!」と怒り、会話がなくなってきました。

中学2年の春、私の母の末期がんと、そして父も体調が悪くなってきていたため、様子をみるために毎週末に三重の実家へ泊まりがけで行くようになりました。

実家への往復の車の中で、少しずつ笑って話してくれるようになったので、思春期のイライラが終わったのかな?と思っていました。


そして夏休みに入ってすぐに母が、そしてお盆明けに父が他界しました。四十九日が過ぎ、頻繁に実家に行かなくてもよくなったころ、長女は登校できなくなりました。
私からすると突然の出来事で、最初は学校に行かせなきゃと必死でした。でも、長女はその時、学校に行かなきゃいけないのに身体が動かず、どうしていいか分からない状態だったようです。


長女が一番苦しいのだと理解するのに2か月ほどかかり、その後、長女と話し合いながら中学やこども支援窓口へ相談に行き始めました。
同時に、娘が起きられなくなったことの不安を知り合いに相談してみたら、「起立性調節障害」という病気を教えてもらい、かかりつけの小児科を受診し、薬を処方されましたが、自分は病気じゃないと飲むのを拒否。そして動けないまま中学3年、あっというまに進路選択の時期になり、全日制の高校には進学できないと告げられ、通信制高校へ進学することにしました。


高校入学後は休まずに登校していましたが、徐々に行けなくなり、そのまま冬に。2年生に進級する4月から心機一転再スタートを切れるように、2月から環境を変えることにしました。


環境を変えたことにより、笑顔が増え、妹や弟とも前より話すようになりました。春休みには友達と出かけたり、普段の買い物にも一緒についてきたりするようになり、いい感じだと思っていましたが、新学期が始まって学校へ行く時間になると動けなくなり、1日しか登校できていません。


きっと学校や勉強に対する不安がいっぱいで、まだ再スタートが切れる状態ではなかったようです。いつかは再スタートを切るはずなので、その時にサポートできるように見守っていこうと思っています。

続いて真ん中、次女です。

6年生に進級し、学校ではやる事が増え大変そうですが、最高学年としての自覚もあり、大人びた感じになってきたように思います。


人と同じことをするのが嫌い。でもお姉ちゃんの影響を受けやすく、真似をしたがります。


昨年夏から硬式テニスを始めました。3人の中で、唯一の体育会系です。


小さい頃から、お散歩をするワンコを見つけるとダッシュで駆け寄ってなでたり、知り合いのワンコと遊ぶ時は、庭で一緒に転げまわっていたり・・・ムツゴロウさんのようだなと思っていました^^;
将来はペットショップの店員さんになって、動物に囲まれて暮らしたいそうです。

子供たち、一人ずつの紹介をしていこうと思います。まずは末っ子の長男から。


4年生に進級した長男。
幼稚園の頃は消防隊員になりたいと言っていたのに、小学校に入学するころには自分が体育が苦手だということにいち早く気づき^^; 研究者になりたいと言うようになりました。

そして最近、プログラミングやロボットに興味を持ち始め、誕生日に『ラズベリーパイ』というマイコンを手に入れました。

でも、マイコンに入っている「マインクラフト・パイ」に夢中で、マウスとキーボードを駆使して色々作っています。


そのうち本格的にプログラミングを始めるのかな?