『起立性調節障害』最近、テレビや新聞でも少しずつ目にするようになってきました。


3年前のこの時期、岐阜市PTA大会の実践発表のために、8時頃出発して会場に向かわなければいけなかった時、中2だった長女が登校拒否をしました。この年は発表校として参加しなければいけなかったので、娘を自宅に残してモヤモヤしながら出かけたのを覚えています。


その後、前から遅れ気味だった起床時間がさらに遅くなり、起き上がれなくなってきたと言い始めました。


その頃の私は、気合いで起きたら起きられると思っていたので、娘を無理矢理起こそうとしたり、着替えさせ、何とか登校させようとしていました。


だんだん登校できない日が多くなってきた頃、知り合いから『起立性調節障害』という症状があることを教えてもらいました。かかりつけの小児科の先生が、起立性調節障害について詳しく知っている先生だったので、検査していただき、『起立性調節障害』と診断され、薬を処方されました。

朝は30分ごとに声をかけ、薬を飲ませて学校へ行かせようとしました。でも娘は、「私は病気じゃない」と薬を飲むことを拒否しました。
薬を飲まない朝起きられない学校へ行けない・・・出来ない事が日々増えていきます。


診断を受けてから、図書館やネットで症状などを調べたり、動けない娘の代わりに、中学校やエールぎふなどに足を運び、相談したことを娘に伝える日が続きました。学校でも、『起立性調節障害』についての理解がある先生と、全く知らない先生もいて、それぞれに対応が異なることもありました。


症状が改善しないまま、あっという間に高校選択の時期に。『起立性調節障害』の娘にも通いやすい通信制高校に進学が決まり親娘でホッとしたのを覚えています。


入学した頃は頑張って通っていましたが、だんだん通う事ができなくなったので、今年に入ってすぐ、ストレスがかからないように環境を変えましたが、現在は休学しています。

『起立性調節障害』になった原因は色々あります。

色々あった中でも、娘はずっと必死で頑張っていたのに、何故か身体が動かなくなり、やらなきゃいけない事が出来なくなるのは、本当に辛かったと思います。


娘が学校に行けなくなってから、下の子どもたちも遅刻気味になったり、影響も出始めました。

育ち盛りになり、家計を支えるためにとパートの仕事をしてきましたが、今は子どもたちのサポートの方が優先なので、仕事を辞め、娘と家で何気ない話をしながら、子どもたちの心が元気になるようにと過ごしています。


出来れば中学や高校で色んな人と関わって、様々な経験をしながら将来を決めていって欲しいなと思っていました。それが出来なくなった今、出来なかったからダメなんじゃなくて、出来なくても将来を決められるような環境を作ったり探したりしていきたいなと思っています。

『起立性調節障害』のことを、いろんな人に知っていただきたいと思っています。そしてこの事を教えてくれたり、支えてくれる友人たちがいてくれるおかげで穏やかに暮らしている毎日に感謝です。